この世の中に、豪華客船、という娯楽があることは、俺も前々から聞き知ってはいた。
が、実際に乗ったのは今がはじめてだ。
当たり前だ。
裏路地の便利屋風情に、そんなものに乗る機会なんぞ訪れる道理がない。
今回のはひどい偶然、それも飛びっきり悪質な
俺はめくるめくぜいたくの数々を、そんな風に眺めていた。

今回の仕事は二つ。
金持ち爺どもの護衛。それに、とある人物の暗殺。
俺の商売は看板こそ「何でも屋」だが、こんな憂鬱な依頼は金輪際お断りだ。
そんな決心とともに俺は、バーの片隅のテーブルで肘をついて座っていた。
暗殺を「点」の仕事とたとえるなら、護衛は「線」の仕事だ。
二時間シフトで三交代制の監視、ならびに護衛。
これが三日続く。
今はこの船が出港して二日目だ。
あと一日たてばこの船はサンフランシスコに入港し、俺にはそれ相応の報酬が入って旅は終わる。
そのはずだ。
しかし、俺は二時間がこんなに長いと思ったことはなかった。
面倒なんて起きる気配もない能天気な金持ちパーティ。やることなんてこうして窓から外を眺めることくらいだ。
マフィアに包囲されて裏路地を駆けずり回った夜もあったが、それでさえもっと短かったような気がする。
殺しは明日だ。
船が着いてからじゃないと、仕事が済んでも逃げ出すことができない。
何気なく、机の裏に貼りつけられた俺の愛銃に手を伸ばす。
デザート・イーグル50A.E.が二挺、俺よりもよっぽど行儀よくそこに収まっていた。
本当は腰のホルスターに入れておきたかったのだが、あまり懐を膨らませて金持ち連中を刺激したくない、というのが、依頼者たってのお願いだった。
仕方なくこうして隠れてもらっているのだが、いつも感じている4kgの重量が腰にないだけで、こんなにも心細いものだったとは。
まったく、やたらでかいのはこいつらのどうしようもない欠点である。
とはいえ、それでもコンシールドキャリーできる小型の銃を選ばなかったのは、やはり俺がこの銃に無上の愛着を感じているからで、そういう効率の悪いところはわれながら損な性分だと思う。
だが仕方がない。こっちはいつも命を預けているのだ。
それにしても暇だ。
いい加減金持ちたちの観察は飽きてきた。
やつらは確かに特殊な文化体系と言語と容姿をもっているが、異文化交流と言うには観察という行為はあまりに一方的過ぎる。
それに異文化交流は互いを理解するから異文化交流なのだ。
成金どもの薄っぺらい文化など、三十分もあれば容易に理解できる。
既に異文化交流は終了しているのだ。
異常なまでの虚脱感と気だるさが俺をじわじわと蝕んでいた。
「退屈そうね。」
どことも知れない感傷の海に旅立っていた俺の意識は、艶のある女の声によってこちらに引きもどされた。
顔を上げるとやはり俺の予想通り、男を挑発するために産まれてきたような、そんな体を持った美女がそばに立っていた。
「隣、いいかしら?」
黒のシックなドレスに、背中までのやや赤みがかかったブロンドが映えていた。
さりげなくはめられた装飾品の類も、そこらの金持ちとはセンスが違う。
一つ一つが綿密な計算のもと配置されていて、持ち主を最大限に引き立てるようになっていた。
さらにその容姿はといえば、妖艶、優美。
ちょっとやそっとではお目にかかれない傾国の美女である。
「何か用か。」
俺は無愛想に言う。
見た目が綺麗な女に、ろくなやつはいない。
ポーカーフェイスなのね、と彼女は笑うと、俺はまだ何も言っていないのに向かいの席に座った。
俺は文句を言おうと口を開きかけたが、やめた。
こういう手合いには何を言っても無駄なのだ。
だから俺は、代わりにもう一度訊いた。
「何か用かと訊いてる。」
「あなた、好みのタイプだから。」
ふふ、と笑う女の表情からは何も読み取れない。
いやな女だ。
「私はジェーン。あなたの名前は?」
「……お前に教える必要はない。」
「つれないわね。じゃあ適当につけるわよ。そうね……ベックなんてどうかしら?」
「…………冗談じゃない。」
俺はさっさと席を立ってどこへなりと逃げ出したかった。
だがそれはできない。
このテーブルの裏には俺の銃がある。
とにかく、何とかこの女を追っ払わなければ。
「俺はお前なんか好みじゃない。さっさと消えろ。」
「ひどいわね。私にそんな事を言ったのは、あなたが始めてよ。」
俺は舌打ちする。この女、どうしても俺を離す気はないらしい。
「ねぇ、あなた、仕事は何?」
俺は沈黙を保つ。もう何も答えないことにした。
「あなた、他人とつるんで働く人間じゃなさそうね。少なくとも政治家ではない。そうでしょ?」
「……………」
「なら、どこかの会社の社長。ベンチャー企業かしら?」
「…………」
「でも、人の上に立つタイプでもない。何かの職人かしら?」
「………」
「硝煙の匂いがするわ。」
「……っ」
「ビンゴ」
俺は歯噛みした。なんて鋭いんだ、この女。
少なくとも人を見る眼はある。
「護衛だ。」
仕方なく俺はそれだけ答えた。
「首尾はどうかしら?」
「大きなお世話だ。」
少なくとも今のところはなんら問題はない。
目の前に気に障る女がいること以外は。
「いいじゃない。退屈してたんでしょう?」
痛いところをつかれた。確かにそれは事実だ。
確かに俺は退屈していて、これから約一時間半、誰と話すでもなく茫洋とした時間を過ごすのに憂鬱さを感じていた。
そんなときに目の前に極上の美女が現れて、俺と話したいと言っているのだ。
普通これは歓迎すべき事態ではないのか。
いや、だがしかし、俺の意識の深いところには、絶対的な警鐘を鳴らす何かがあった。
曰く、この女にかかわってはいけない。
かかわったら絶対にあとで痛い目に遭う、と。
これまで、俺の勘にしたがって失敗したことがあったか?
答えはノーだ。
既に五年近い便利屋稼業だ。危ない橋も何度となく渡ってきた。
そんななかで、どんな理論も武器も歯が立たないとき、やはり最後にものを言ったのは、生き残るという執念から生まれた第六感だ。
間違いない。この女は危険だ。
俺は今度こそ女を追い払おうと決心し、決然と顔を上げた。
その瞬間、彼女と眼が合った。
明るいグリーンの瞳は、俺の目を捕らえて離さない。
まるで絡みつくように俺の視線を捉えたその瞳は、まるで俺の意識に直接、彼女の魅力を叩き込んでくるようだった。
彼女の強さ、弱さ、繊細さ、妖艶さ。
瞳とは、これほど雄弁にその人格を語るものだったろうか。
俺の勘は正しかった。
確かに危険だ。
こんな感触は、はじめてだった。
「どうしたの?」
彼女の一言で俺は我に帰った。
全身が冷たい汗をかいている。
心臓の鼓動が痛い。
手は知らないうちに机の下のイーグルを握っていた。
「………いや」
まるで悪夢から覚めたばかりのようだ。
「…なんでもない。」
それだけ言うのがやっとだった。
「仕事が終わるのは?」
「……あと一時間……半だ。」
「十時、か。じゃあ、十時に船内のバーで。」
そういって彼女は去っていった。
あとにはまるで麻薬のような彼女の残り香と、虚無感だけが、残った。
「なんだかなぁ……」
結局、俺はその夜の交代のあとすぐにここに来てしまった。
船内唯一のバー、『Blue Horizon』。青い水平線。
なるほど、店内の各所にある円形の窓からは、昼ならば美しく青い水平線が見渡せるだろう。
だが太平洋を縦断するこの船からは、外を見ればどこからだろうと水平線だらけだ。
さらに言うなら、このバーの営業時間は夜八時から十一時だ。
この窓から青い水平線を見渡すことは、店員にでもならない限り不可能だ。
俺はその矛盾に満ちたバーの扉をくぐった。
カランカラン、と呼び鈴の涼しげな音が鳴る。
カウンター席を一目見て、俺は改めて後悔した。
しかし、同時に彼女の姿を認めてほっとしている自分をも感じていた。
一体俺は何をしたいんだろうか。
こんな店よりも自分の精神のほうが、はるかに矛盾に満ちている。
(そういうのを、馬鹿っていうんだろうな)
俺は口もとに自嘲の笑みを浮かべて、カウンター席へ向かった。
俺の隣には、さっきの女。
一時間半、ここに座ってマティーニをなめていたのだろうか。
気だるそうな視線は、バーのマスターの後ろの酒棚の隣の窓の奥の黒い水平線を眺めている。
「ジン・トニック」
俺は自分が来たことを知らせる意味もこめて注文した。
彼女が俺のほうを見る。
「来てくれないかと思ったわ。」
そういって微笑む彼女は、文句なしに美しかった。
「一つ訊きたいんだが。」
俺は会話することで、どうして俺がここに来たかをうやむやにしたかった。
わかってる。馬鹿な足掻きだ。
「ジェーンって、本名か?」
「あら」
俺のジン・トニックが静かに前におかれる。
彼女は少し意外そうな顔をして、
「マスター、マティーニもう一杯追加ね。」
酒を注文してこっちに向き直った。
「だってあなた、絶対に本名は名乗ってくれないって思ったもの。」
そういって笑う彼女に、悪びれた様子はない。
つまり、一杯食わされたわけだ。
参った。
イニシアチブは取れない。
俺はジン・トニックを一気に飲み干す。頭がくらくらした。
くらくらしたまま俺は、彼女に追加のマティーニを運んできたバーテンにウイスキーのロックを注文した。
少々きついのを飲まないとやってられない。
「俺だって、好きで名乗らなかったわけじゃない。」
ふてくされたように言う俺を見て、彼女は天使のように笑う。
「わかってるわよ。どうせ、名前も名乗れないようなヤバイ商売なんでしょう?」
俺は黙ってまたグラスを傾ける。
心はようやく落ち着いてきた。
いいさ。
イニシアチブを取れないのならば、流されてみればいい。
それに彼女と話していると、妙に心が安らぐ。
楽しい、なんて。そんな感覚は久しぶりだった。
「…私もね、ただ気まぐれで名乗らなかったわけじゃ、ないのよ。」
不意に彼女が、さめた声でそういった。
酔いが回っているのだろうか。
その頬はうっすらと上気し、眼が据わっている。
そんな影を持った表情もまた、美しい。
そんなことを考える俺もまた、相当に酔っていたのだと思う。
「私はね、あなたが好きよ。」
彼女は俺の腰のホルスターに納まったイーグルを撫でながらいう。
「あなた私に似てるのよ。
誰の手にも負えない。
誰にも相手にされない。
そして、誰よりも強くありたい。」
その手はするするとホルスターを登り、俺の胸を伝う。
「あんたにはわからないさ。」
俺はかろうじてそれだけ言う。額の冷や汗を悟られないか心配だ。
「わかるわよ。女を甘く見ないで。」
彼女は俺の鼻先に人差し指を突きつける。
「大方、この銃もそうなんでしょう? あなたの相棒だもの……ね?」
「いけないか?」
「陰湿だわ。後ろ向きの考えよ。自分に似ているもので、自分を守るなんて。」
「悪いが気に入ってるんだ。」
「そのうち同族嫌悪がわいてくるわ。」
「そのときは捨てる。」
「この際言っちゃおうかしら。」
「何をだ。」
彼女はするりと俺の胸から離れた。
目の前に、彼女のその美しい姿。
「ねえ、私の部屋に来ない?」
俺は頷いた。
そうするほかに術はなかったし、術を探したいとも、もう思わなかった。
そこはスイートルームだった。
俺に当てられた三等船室も始めてみたときはなかなかのものだと思ったが、この部屋は格が違った。
オレンジの照明と、広いベッド。壁際にはクロゼットとテレビ。
机の上ではボトルが冷やしてある。
その向こう、やけに広い窓からは、ただひたすらに広く黒い海が見えていた。
「シャワーを浴びてくるわ。」
彼女はそういって隣の部屋に入っていった。
程なくして、水音が聞こえてくる。
俺は適当なグラスを探して、ボトルを開けると中に注いだ。
やや黄色い透明な液体がグラスを満たす。
香りをかぐ。ワインだ。
ラベルを見る。一番大きな文字がこのワインの名前だろう。
「コロンバール」、そう書かれていた。
一口飲んでみる。
フレッシュな果実の香りがさわやかに口の中に広がる。
軽いワインだ。
もっと強いのを、そう思って冷蔵庫に向かったが、ふと思いついてやめた。
これを飲みながら彼女と話をするのだ。
長い話になるだろう。
すぐに酔いつぶれて、もとい、酔いすぎて次の段階に進んでしまってはまずい。
これくらいがちょうどいいだろう。
そう思って俺は、グラスの酒を一気に飲み干した。
軽くても、やはりワインだった。視線が少しぐらついた。
水音が止まり、彼女が出てくる。
水色のバスローブ姿だ。
俺はもう一つのグラスにワインを注ぐと、彼女に差し出した。
「ありがと」
そういって彼女はグラスを受け取る。
俺の対面に腰掛けると、
「乾杯しましょ」
そう言った。
「何に?」
「偉大なる大海原に。」
是非もなかった。俺は苦笑を浮かべる。
透明なグラスがふれあい、チン、と鳴る。
俺は少し口をつけただけだったが、彼女は一気飲みした。
「私はね、」
とん、と置かれたグラスに、俺は新しい酒を注いでやる。
「ある資産家の妻なのよ。」
まぁ、この船に乗ってるってことは、そんなところだろうとは思っていたが。
「正妻、と言えば聞こえはいいけど、その実態は、一番昔からいて、一番飽きられた女。
彼が外に一体何人の女を囲ってるか、数えたこともないわ。」
「よくある話だな。」
俺の答えにも、彼女は腹を立てた様子もない。
ただ、苦笑を返すだけだ。
「でもね、やっぱるあの人も、外面は気になるらしいの。
ちょっとでも私と親しくしている様を、ほかの人に見せたかったんでしょうね。
このクルージングは、彼からプレゼントされたものなのよ。」
「なら、旦那さんは一緒に来てるのか。」
「来てたらこんな話しないわ。」
それもそうだ。
「あのひと、直前でキャンセルしちゃったのよ。
重大な用事ができたって。
彼、表向きはあわててるのを装ってたけど、それでもう通じちゃうのよ、夫婦って。そういうものなのよ。
私は、あの人に拒絶された。
どんなに美しくなっても、どんなに魅力的でも、もう私には振り向かないって。」
彼女はまた酒を一気飲みする。
それに付き合うように俺もグラスに口をつけた。
味なんてわからなかった。
彼女もそうだろう。
「私も、あんな男、って割り切れればと思って、一人でクルージングに出た。
だからこれは、私なりの傷心旅行なのよ。」
子供みたいでしょ?
そういって笑う彼女には、疲れたような表情が浮かんでいた。
俺がもう一杯ワインを注いでやると、彼女はそれを持って窓際へ立った。
「暗いわね、海。
海の底は、これよりもっと暗いのかしら。」
彼女の背中は何も語らない。
でも、その細さは窓の外の闇に、勝てそうになかった。
そっと、背中から抱きしめる。
「やっぱりあなた、優しいのね。」
「そんなことない。」
「そうね。残酷で卑怯だわ。」
その言葉が、どれだけ俺の励ましになっただろうか。
優しいのは彼女だ。
「名前は、教えてくれなくていい。
今夜きりにしたい。」
「そう?」
彼女はその姿勢のまま、俺の瞳を見上げた。
「ジェーン・スピアーズよ。」
「え?」
次の瞬間、ドズン、という衝撃が俺たちを襲った。
酒のせいじゃない。照明が激しく揺れている。
「何だ!?」
あわてて廊下に出ると、照明は消えていた。
ばたばたと走る音、それに怒鳴り声が聞こえた。
「糞、なんてこった!」
俺は毒づいた。
こんな海に船がぶつかるものなんてありはしない。嵐の様子もない。
これほどまでに船が揺れるとすれば、おそらく、シージャック。
「いきなさい」
背後から彼女の声が聞こえる。
「あなたの仕事でしょう?」
「ちっ」
俺は舌打ちすると、廊下を駆け出した。
俺は走りながらイーグルを抜く。
初弾は装填済みだ。今、セイフティを解除した。いつでも撃てる。
まずは操舵室へ向かうことにする。
俺がシージャック犯なら、まず無線を抑えたいと思うからだ。
と、突然、前方の曲がり角から明らかに異質な人影が二人飛び出した。
その手にある長い物体は、見紛いようもない。
「くそっ!」
アサルトライフルによるフルオート射撃。
半ば反射的にすぐ横の船室に飛び込んだ俺は、かろうじて弾雨を交わすことができたが、廊下を無秩序に駆け回る乗客はそうは行かなかった。
悲鳴と銃声が陰惨なオーケストラを奏でる。
参った。敵は装備も訓練も、十分に充実しているに違いない。
射撃の姿勢が整っていて躊躇がない。
おまけに一般人を撃つ事に対しても頓着のないグループらしい。
かなり厄介だ。
俺は逃げ込んだ船室を改めて見回す。
幸いと言っていいのか、その部屋の客は逃げたあとだった。
間取りはさっきの部屋と変わりない。
俺はクロゼットを押して部屋の入り口まで運んでいく。
これを囮にするのだ。
クロゼットは丈夫なオーク材でできていて重かったが、これくらいの丈夫さがあれば銃弾の一発や二発防いでくれるだろう。
部屋のドアのところまで来ると、俺はそいつを横から力いっぱい押した。
巨大なクロゼットが横倒しになって、敵の射線に晒される。
すぐにクロゼットは蜂の巣にされたが、俺はまだ部屋の中にいた。
123456……
二挺の銃から発射されるフルオート射撃の弾数を、正確にカウントする。
俺が便利屋稼業で身につけた、特殊な能力の一つだった。
約半秒のタイムラグで、二挺目の銃が三十発を発射した。
その瞬間、俺は部屋から躍り出る。
構えて、照準し、発射する。
その所定の動作は、敵がマガジンを交換するよりもはるかに早かった。
二挺の銃が、同時に火を噴く。
強烈なブローバックとマズルフラッシュ。
弾丸なんて見えるわけもなかったが、それでも俺は、俺の発射した弾丸が敵に正確に突き刺さったのを感じた。
二人の見知らぬテロリストは、分厚い絨毯に沈んだ。
後ろは見ないことにした。
生きてる人間の気配はしなかったから。
二丁拳銃を駆るのは、ダンスと同じだ。
パートナーの力を、いなし、かわして、誘導する。
そうすることで、誰よりも正確に狙いをつけられる。
そしてステップを踏む。リズミカルに、スムーズに。
そうすれば、誰も俺を捉えることはできない。
ハンマーが、撃針が、シアーが、スライドが、マズルフラッシュのスポットライトのもとに壮大なシンフォニーを奏でる。
俺と二挺のイーグルは、その中央で誰よりも速く踊り狂う。
一人、二人、三人、四人。
弾丸という名の旋律に貫かれまた一人、人が死んでゆく。
知るもんか。
俺には関係ない。
操舵室には今、生きた人間は三人になっていた。
一人は船長。
一人は俺。
一人は、防弾チョッキに身を包んで拳銃を船長の頭に突きつけている男。
「く……来るんじゃねぇ…。
こいつを殺しちまえば、お前らは俺たちと一緒に太平洋のど真ん中でぷかぷか浮いてるしかなくなるんだぜ?」
「諦めろ。
別に遭難しようがどうせここはこの船の航路の上だ。救助は来る。」
俺はその男に銃を向けつつ言った。
「う……うるせぇ!」
ひゅうっと銃口がこちらを向く。
撃つ気だと明らかにわかる、逆上した人間のフォームだった。
こうなれば簡単だ。
俺は銃をしまって左足で地面を蹴る。
もといたところから三センチ横にずれれば、もう弾があたることはない。
やつは明らかに俺の頭を狙っていたし、俺の動きに合わせて狙いを変えるほど冷静でもなかった。
ダン、という軽い音とともに、あたりがオレンジの光に包まれる。
案の定、弾丸は俺にかすりもせずに背後に抜けていく。
敵が反動でひるんだゼロコンマ数秒は、三メートルほどの距離をつめるのには十分すぎた。
船長を突き飛ばし、男の両手をしっかりとつかむ。
そのまま男の右、俺から見て左方向に思いっきり引き寄せた。
バランスが崩れて全体重の乗った男の右足を、俺は振り上げた脚で思いっきり刈る。
かけたこちらが驚くほど、あっさりと決まった大外刈り。
ジュウジュツも捨てたもんじゃない。
俺はそいつに馬乗りになると、改めて懐のデザートイーグルを敵の眉間に突きつける。
「どこのグループだ。リーダーはどこだ。」
男は情けなく歯をガチガチ言わせながらも、どうにかといった風に首を横に振る。
仕方がないので男の顔一センチとなりに弾をぶち込む。
僅かに角度をつけて撃ったので、跳弾になって外に飛び出すかと思ったが、そうならずに船の床に穴が開いたのには俺も驚いた。
「情報をくれれば脚を撃つ。追いかけてこられたら厄介だからな。」
「も……もし言わなければ?」
もう一発、今度は反対側にくれてやる。
「次にくだらない質問をしても頭を撃つ。わかったろ?」
そういって俺は銃口をそいつの額に押し付けた。
「わかった、わかった言うよ、言うからそいつをどけてくれ!」
「いやだね。」
「お…俺たちはメキシコでマフィアをやってるサルパニーニャ一家だ。
うちの持ってる麻薬ルートに便宜を図ってくれるって資産化がいたんで、その見返りとしてこの船を襲ったんだ。
リーダーはカモッラ・ディエゴ、今は大広間にいる!
さぁ、これでいいだろ!」
大広間は既に掃討済みだ。
知らないうちにリーダーも殺っちまったようだ。
しまった。
いや、それよりも今気になるのは……
「その資産家の名は?」
「そ、そんなモン俺が言えるわけ……わぁー! わわわかったからよせ! 言う! 言うよ!
俺たちにこの船を襲うように言ったのは、カリフォルニアの資産家、レクター・スピアーズだよ!」
ガン!
俺は我知らず拳を床に打ち付けていた。
冗談じゃない。こいつはタチの悪い出来レースだ。
俺はただの保険だったってわけか。
「わかった、ありがとう、感謝するぜ。」
「そ、そうか、じゃあ……」
「ああ、ずっとこの船でワルツでも踊ってるといい。ファッキンクライスト様によろしくな。」
「な、ちょ、ちょっと待て、約束がちが……!!」
俺はかまわず引き金を絞った。
八つ当たりだったのかもしれないが、こいつを生かしておくつもりはなかったのもまた事実。
「悪く思うな。脚を撃たれるのは痛いぞ。」
俺は大広間に向かって走り出した。
大広間についたときには、死体の山から突き出すように、人影が一つ増えていた。
海を照らす月の光を受けて、淡い輪郭が大きな窓際に現れていた。
滑らかな曲線を描くその影に、俺はうっとりと見とれた。
「これ、あなたがやったの?」
人影はそう俺に問うた。
俺はうなずく。
「そうなの」
彼女は、ジェーン・スピアーズはまるでそのことに何一つ感想など抱いていない様子で、ゆっくりと近くのテーブルへと歩いていく。
俺はそれにあわせてゆっくりと歩み寄る。
近づくにつれ光の向きが変わり、彼女の顔が次第にはっきりとわかるようになって来た。
テーブルの上には、ディーラーのいなくなったルーレットが置かれていた。
テーブルを挟んで向かい合うような形で、彼女の顔を見つめる。
右半分を青白く月で照らされ、左半分は影に覆われた彼女の顔は、静かな神々しささえ湛えていた。
このまま、この状況が、一生続けばいい。
今この場で船が沈んで、二人もこのまま海底の岩になってしまえれば。
そんなセンチメンタリズムが、俺の心を満たした。
先に沈黙を破ったのは、彼女のほうだった。
「どうやら、私はあなたにとって、ただの
そんなことを言う。
まったくだ。
彼女のせいで船が襲われ、彼女のせいで俺はいやな思いをたくさんした。
とんだ大災難だ。
「どこまで知ってる?」
俺の声は、妙に落ち着いていた。
「このテロリストは、夫が差し向けたものだということ。
その目的が私を殺す事だったってこと。
夫は私を愛していなかっただけでなく、わずらわしさのあまり憎んですらいたということ。」
淀みのない声だった。
「あなたが私を愛し始めたということ。
私もあなたを本当に好きになり始めたこと。
あなたも……私を殺すことを依頼されていた、こと。」
彼女はそれだけのことを、まっすぐに、あの妖艶な瞳で、俺の目を見つめながら言い切った。
ゆっくりと持ち上げられたその手には、コルトパイソン、357マグナム。
倒れていたマフィアから、奪ったのだろう。
「わからないほど子供でもないはずよ。
ホラ、あなたも構えて。」
「それは……」
「わかっているはず。二人で死ぬのも、二人で生きるのも、どちらもあまりに無意味。
どちらにとっても益にはならない。後からしわ寄せが来る。」
俺たちは所詮、今夜きりの二人。
二人で生き残っても、どうせいずれは足を引っ張り合うことになる。
わかってるさ。そんなことは。
「優しいのね。」
俺のイーグルの銃口を見つめて、彼女は笑う。
そうさ、俺は彼女のためなら自分を殺せる。
辛くたって、彼女を撃つぐらいはできる。
今まで、ずっとコイツで人をぶち抜いて生きてきたんだから。
「相打ちだけは避けたいし、これで決めましょう。どちらが撃つか。」
彼女は手元のルーレットを差して言う。
「あなたが死ぬか、私が死ぬか。
どう転んでもフィフティ・フィフティよ。
さあ、選んで。
「…………黒」
「なら、私は赤ね。」
銀球が投げられる。
シャーッと言う涼しい音とともに、銀だまはルーレットを囲む銀の輪になり、文字盤の黒と赤は交じり合って濃い赤になった。
まるで、血の色。
まるで、俺たち二人のようだ。
黒と赤は、交じり合ったところで流血しか生まない。
それに、回転が止まればまたまったく別のものになる。
くだらない。
実にくだらないたとえだ。
回転が弱まる。
俺は決心する。
球は球に戻る。
赤と黒が分かれる。
カラン。
小さな音とともに、球は穴に落ちた。
「サヨナラ」
「ああ。」
響いた銃声は、一発。
俺の、イーグルだった。
球は、赤に落ちていた。
「これ以上…………これ以上、お前を苦しませたくなかった……。
ただ、ただ、それだけだったんだよ……」
言い訳だ。
言い訳だらけの俺の人生だ。
パイソンのトリガーは重い。粘るように引きずる。
男の兵隊ですらてこずる代物を、女がそうやすやすと扱えるわけがない。
デザートイーグルは、腐ってもオートマティックだ。
やはり、ハンマーが上がっていれば、トリガーは軽い。
どうせ、彼女は俺には勝てなかったんだ。
言い訳だ。
五十口径は強力だ。
撃たれれば痛みを感じる間なんてない。
楽な死に方なんだ。
言い訳だ。
俺は、優しいのか。
…………。
いや、もう、いい。
俺は生き残った。
それで十分だ。
いままでずっと、そうやって生きてきたんだ。
たかが一人の女の生き死になんて、俺には関係ない。
俺には関係ない。
ほら、朝日も昇ってきた。
海が紅い。
血で紅い。
あとがき
この小説は、アンギットゥさんの小説サイト、「アンギットゥの雪国」に投稿させていただいたものです。
まずは感謝。
今回のキャラは萌え系じゃないです。
というかむしろ没個性的にしたつもりです。それが今回のコンセプトの一つでした。
後は鬱な話を書こう、というのもありました。
いやはや、辛かった。自分がしんどかった。
BGMはアニメ「ガングレイヴ」のサントラです。
かなりキましたよ。額の辺りに。
次回の予定はM500、題は「時には鋼のように」です。
以上、駄文失礼。