果てしなく広がるオレンジ色の荒野。
点在するサボテンや低木たちは、もはや普通の草木のように水を渇望することはない。
とげとげしさを増した葉は、彼らの心情を表しているのだろうか。
風の口笛だけがひょうひょうと響くそんな荒野の片隅の、ほんの一点に、人間たちの町がある。
遠い島国から、内陸から、誰もが一攫千金を夢見て海を越え、新たな大陸の開拓者となるべく押し寄せる。
それが、この時代。
◆
ここは内陸のとある町である。
もはや彼らの越えてきた大西洋の香りも届かず、町の柵を一歩越えればそこに広がるのは、地平線と果てしない荒野。
そんな、人間たちの集まる町の一角のいつもは騒がしい午後の酒場の空気が、今は妙に静まり返っていた。
その沈黙の中心にいるのは、一人の少女と、中年の男。
「ふーん、口が滑った? 馬鹿にしないで。」
その少女、ロゼッタは中折れ式の黒くてごつい
よそから流れてきたらしいその男は、すでに何人もの人間に粗悪品の弾丸を売りつけたり、偽ブランドのティーカップを売りつけたりと、その悪名は町中に知れ渡っていた。
ロゼッタは数分前この男に声を掛けられ、普通の弾丸にしては安すぎる弾を大量に購入させられかけたが、彼女は弾の匂いをかぎ、手に持っただけであっさりと粗悪品と見抜き、そこからこの男が件の詐欺師と判明し、店のほかの人間がはやし立てるままに現在、男の口に銃口を突っ込んでいる次第である。
まぁ、ことの経緯などはこの際あまり問題ではない。
彼女にとって今問題なのは、愛銃のバレルにつばがついて汚れるということだった。
後のことを考えると正直憂鬱だったが、相手を本気で恐怖させるには、この方法が一番だと、彼女は思っていた。
特に女をなめきっている荒野の男共には、これぐらいしないと意味がない。
そんな信念の下、かちり、親指でゆっくりと、シングルアクションのハンマーを起こす。
この詐欺師には、いまやハンマーが断頭台の刃に見えていることだろう。
あんまり肝の据わった男には見えなかった。
ロゼッタはゆっくりと、
そう、この『タメ』も非常に重要だ。
相手に必要以上の恐怖を与えるためには。
「バァン!」
「あひゃああああぁぁぁぁぁぁっあぁぁっ!!」
ハンマーがカチンと音を立てると同時に、男は失禁しつつ後ずさる。
恐怖の対象であったハンドガンは、しかし咆哮することなく澄ましていた。
シリンダーの一番上に、弾は入っていなかったのだ。
途中にがりっという感触があったので、前歯を折っちゃったかななどとロゼッタは思う。
いまだにはぁはぁと荒い息をつく男をロゼッタは威圧感たっぷりに見下ろす。
「あんまり女をなめないことね。
荒野のルールを決めるのは、カミサマじゃなく、コルトとS&Wなんだから。」
そういうと、男のへたり込んだ足の間に、今度はきちんと弾丸をお見舞いする。
「うっ、うわわっ!! すすすみません! もうしません! 二度としません!!」
謝る男に踵を返し、スコーフィールドを軽く掲げる。
手首を返して一回転半、愛銃はスターが舞台を去るように、お辞儀の代わりにスピンを披露し、ロゼッタのホルスターにストンと収まる。
「
彼女のウインクとともに、酒場は歓声に包まれる。
ロゼッタ・インステア。
彼女は、荒野のヒーローだった。
◆
彼女はさらさらした赤髪を、首までの長さで短くそろえ、サイドにかかる一房だけを三つ編みにしてまとめ、それらを隠すかのように皮製のテンガロンハットをかぶっていた。
タンクトップに皮製ジャケット、下はジーンズと、腰に巻かれた黒皮のホルスターが目を引く。
きっと母国にいる淑女諸君が見れば卒倒するに違いない男勝りである。
ただ、彼女の澄んだ碧眼と幼さを残した顔立ちがそれに拮抗し、このむさくるしい荒野で彼女なりの魅力をかもし出している。
ロゼッタ・インステア、18歳。 サボテンも恥らう荒野の乙女である。
今彼女は、砂漠の真ん中の小さなバーの席のひとつを占拠して、黙々と愛銃の整備に精を出していた。
先ほどから何かしきりに彼女に話しかけているバーのマスター、ロッソのこともまるで眼中にない。
バー・「はぐれスカンク」は、正確には砂漠の真ん中の小さなオアシスのほとりに建っていた。
何しろ道すら満足にないところにぽつんと立っているだけなので、人の出入りはめったにない。
たまにくる常連客と遭難者だけが、この店の客層である。
このバーのマスター、ロッソ・ブリードマンは、小太りにあごひげを蓄えたいかにも人のよさそうな熊男である。
何でもこのオアシスは、彼曰く砂漠で遭難しかけたときに一人で掘り当てた水場らしい。
彼はそのときの自慢話を、初めて来た客のみならず常連客にもするのが大好きで、客がいるときはたいていその話をしていた。
しかもそのときによって微妙に話の筋が変わっているので、どの話が本当なのか、それともまったくの嘘っぱちなのか、それは常連客にもわからなかったが、とにかく知る人ぞ知るこの店の名物になっているのだ。
しかし常連客であるロゼッタはいい加減その話にもうんざりしていたので、彼が『16のころ原住民を追って砂漠に繰り出した』話のあたりから自分の銃をバラし始めていた。
荒野を駆ける彼女たちにとって、銃は馬とも並ぶ重要な相棒のひとつである。整備は欠かせない。
といっても、点検すべきところはそう多くはない。
シリンダー周りの砂を取り除き、バネの調子を確かめバレルを掃除する。
中折れ式なので、やや強度が心もとないフレームの稼動部も点検する。これでとりあえずは終了である。
「さて」
最後のねじを締め終えると、彼女はロッソのほうに向き直った。
「で、なんでしたっけ?」
「おう、そうだった。」
彼女がロッソの話を聞いてなかったのが露骨に表された台詞だったが、ロッソのほうにも特に気を悪くしたそぶりはない。
ほうっておくと彼はコブラにでもこの話をし始めるんじゃないか、などとロゼッタは考えていた。
今のロゼッタはどこかぼんやりしていて、酒場で見せたような鋭さは皆目見られない。
テンガロンハットも取った今の彼女はどちらかというと、大型拳銃よりティーカップのほうが似合っていた。
「凄腕が要りようなんだ。それも並のじゃだめだ。とびっきりが必要だ。」
「ほぇ〜」
自分がその“とびっきり”だと、わかっているのかいないのか、カウンターにもたれる少女は間の抜けた声を漏らした。
「最近、ここらの有力者が相次いで殺されてる。 腕の立つ野郎が暴れてるらしいが、どうやら先住民ってうわさが流れてる。
……さっさと処分したいから頭の回る腕利きをつれてこいと、保安官からお達しが来た。
ひとつ頼むよ。ロゼッタ・“スコールバレット”・インステア。」
「……報酬は?」
ロッソはニカッと笑みを浮かべて、指を5本立てて見せた。
「じゃんけんですね? 私の勝ちです。」
ロゼッタは指を二本立てて勝ち誇った。
…………。
「……えっと、五万ドルですか?」
こほんと咳払いをしながら訊く。
「ばか、五十万ドルだ。こんなおいしい仕事はないぜ。」
「五十万、ですか…………」
彼女は少し考えるようなそぶりを見せたが、それでもその思考はすぐに手放したようだ。
「あ〜、べつにいいですけど、じゃあラムを一本いれてください。もちろんそっちもちで。」
◆
「あらあら、ロゼッタちゃんじゃないのぉ! 久しぶりね〜、元気してた?」
娼館のママ、輝くブロンドのハンナ・クララベルは、満面の笑顔を以ってロゼッタを出迎えた。
「はぁ、まあ。」
ロゼッタはここのママが嫌いではないが苦手だった。
まくし立てるように一気にぺらぺらとしゃべるので、どうにも気おされてしまうのだ。
以前一度であったときには、やれうちで働かないかだの、やれあなたなら売れっ子になれるだの散々口説かれてなかなか離してもらえなかった。
そのときの反省も踏まえ、ロゼッタは彼女がまた自分を勧誘し始めないうちに率直に用件だけ述べることにした。
「ハンナさん、うわさの殺人鬼について、何か手がかりはありませんか。」
「殺人鬼……ああ、『マスタング』ね。」
「『
「そうよ、彼のことじゃないの? 強盗ならたくさんいるけど、殺人鬼って呼ばれるような『ならず者』は、今のところは彼以外に思いつかないわね。」
マスタング……件の殺人鬼はどうやらそういう名で呼ばれているようだ。
(ずいぶんと好意的な名前ですね。粗暴な感じはしますが……)
「その人は、どんな人だかわかりますか?」
「どんな人、って言われてもねぇ…」
ハンナは屋根を見上げて考え込む。
「じゃあ、どんな人だって聞いてますか? 噂とかでもいいです。」
ああそれなら、とハンナは手を打った。
「あのねぇ、実はすっごいハンサムボーイらしいのよ。」
「ハンサム…ですか?」
そうそう、と彼女はまるで先日見たショーの話でもするように続けた。
「そうよ。なんかその辺のごろつきとは違って、スマートでクールな人らしいのよ。
ぜんぜんごつい感じはしないのに、風のように力強く走るって。」
(なるほど、おそらくその噂が“マスタング”という名前の元でしょうか…)
ロゼッタは得心した。
「でも保安官の話じゃ、すごく残酷で容赦のない殺し方をしてるらしいわ。どこか殺し過ぎ(オーバーキル)なところがあるって。 まぁそのわけありっぽいところもミステリアスで素敵だってんで、今町中の話題になってるわけよ。」
「オーバーキル、ね……」
ロゼッタが考え込んでいると不意にハンナが身を乗り出してくる気配が感じられた。
顔を上げると、ハンナの満面の笑顔がそこにあった。
「で、荒野のヒーロー、ロゼッタ・インステアの次のお相手は、マスタングで決まりなのかな?」
「だから私はそんなんじゃありません。」
そういうロゼッタも、なんとなく感づいてはいた。
それなりに美人で腕の立つロゼッタが、荒野の人間たちにまるでブラウン管の向こうのヒーローのように見られていることを。
そんな自分が、今回の『殺人鬼』の正体を突き止め、あまつさえみんなの前で決闘の末にそいつの眉間をぶち抜いたりすれば、周りの人間はつかの間のエンタテインメントに狂喜乱舞するだろうということも。
それもいい、ロゼッタは思った。
必死でたどり着いたこの荒野、やっと得た自由と、晴れ舞台。別段文句をつける理由もない。
ブラウン管上等。こっちだって好きでやってるんだ。双方の利益が一致しているなら、偶像になろうが銅像になろうが、たいしたことでは、ない。
だから、彼女はこう言った。
「でも、やっぱりならず者をほうっては置けませんので。」
それが、彼女の運命を決定付けた、最初のファクターだったのかもしれない。
その後、今後マスタングの標的となりそうな地元有力者の所在地を聞き、ついでにこの町の水商売事情とそこの女王になることのすばらしさについての講義をたっぷり聞いた後、彼女は店を出ることとなった。
店の外では、彼女の愛馬「ディアー」が、さも待ちくたびれたといわんばかりに鼻を鳴らしていた。
ディアーは栗毛に白いぶちの浮いた、若い牡馬である。
ずいぶん小柄な馬で、なかなか売れずに処分されそうになっていたところを、これ幸いと荒野にやってきたばかりのロゼッタが安値で手に入れた、彼女の愛馬である。
ディアーという名前は、「親友」という意味のDearと、彼の毛色がまるで鹿のようなことから来るDeerを引っ掛けた言葉だ。
ロゼッタにはなかなか主人に対する眼差しというものは向けてくれないのだが、ようやく最近は「頼りになる相棒」程度には格上げされたようで、荒野を軽快に走る姿も、なかなか堂に入ってきたとロゼッタは思っている。
「すみません、こんなに待たせるつもりはなかったんですが。」
ロゼッタは彼の首をなでてやりながら、轡を踏んでまたがる。
「じゃあ、行きますか。」
彼女は手綱を握る。
目的地はここから南西3キロ、ベルモンド邸。
3万ヘクタールもの土地を占有するここらの大地主である。
彼(マスタング)の移動経路から見ても、次に狙われるのはそこの可能性が高いとロゼッタは見た。
結局敵の勢力も目的もわからずじまいだったが、とりあえず会えさえすれば何とかなるだろう。
「ハイヤッ!」
掛け声とともに、ディアーは駆け出す。
小柄な二人の旅人の背中は、絡み合った風が織り成す砂の文(あや)模様(もよう)のなかに、かき消されるように溶けていった。
◆
その屋敷は想像以上の威容を誇っていた。
3万ヘクタールもの土地を持つベルモンド家、その土地の約9割は農耕・牧畜に当てられている。
したがって残りの1割は彼らの居住区画となるわけだが、なかなかどうして、これが本当にたった十分の一に過ぎないのだろうか。
豪奢な垣根で区切られた庭の広さもさることながら、その屋敷もまた城塞の如しである。
そんなブルジョアの屋敷を前に、ロゼッタは適当な岩に腰掛け、思案に暮れていた。
隣ではディアーがもそもそと草を食んでいたが、それ以外に聞こえるのは風の音か砂の音、あるいは草木のざわめきそれのみである。
きっと昼間に来ても同じようなものなのだろうが、今は日もとっぷり暮れており、それがその静寂に微妙な不気味さを与えていた。
「さて……」
ロゼッタは立ち上がり、
「どうやって守ったものでしょうか…?」
また座り込んでしまった。
そう、意気込んで来てはみたものの、そのあまりの広さに彼女も防衛の方法を探しあぐねているのだった。
どうしたらいいでしょうか、そうディアーに問うてみたものの、やはり帰ってきたのはブルルというそっけない答えのみ。
ため息をひとつつき、またなんとなく屋敷に顔を戻した彼女に、突然かけられたのは、聞きなれた軽薄な声。
「あれ、そこにいるのはロゼッタちゃんじゃねーの?」
「ああ、チェットさん、今晩は。いい月ですね。」
チェットと呼ばれた彼は、ひらひらと手を振ってロゼッタに歩み寄る。
やや長めの金髪にやや下がった目じり、すらりと伸びた足は長く、タイトなジーンズがよく似合っていた。
腰のホルスターからは、つや消しシルバーのピースメイカーがヒッコリーのグリップをのぞかせていた。
このような容姿だけなら彼は間違いなく平均以上であるが、さらに彼について解説するなら、彼の女癖の悪さに言及せざるをえまい。
自称『愛のガンマン』である彼は、町で見つけた好みの女子にとにかくアプローチすることを生きがいとしている。
たいていの女性は彼のうわさを何らかの形で聞いているので、誘われた場合は自分が平均かもしくはそれ以上の見た目を保っていることに安堵しつつ笑って断るのが常だが、それでも彼の甘いマスクにかどかわされて、だめもとで付き合ってみようという物好きはどういうわけか後を絶たない。
よって町のたいていの人間は、彼が長期間同じ女性を伴って歩いているところを見たことがない。
もっともロゼッタは、彼には数十年来の付き合いの幼馴染がいることを知っていて、ちなみにその彼女は、ロゼッタに銃を売ってくれた馴染のガンスミスでもある。
第三者であるロゼッタはもちろん彼らが互いを好いている気配は察していたが、なんだか二人がお互いに言い出せずにいる様子がおかしくて、特に仲介をするわけでもなく二人にお世話になったりしていた。
ロゼッタにとっての彼らは、信頼の置ける兄であり、姉であったのだ。
「で、こんな場所にあなたは何のようですか? 泥棒するつもりなら忠告します。やめておいたほうがいいですよ。」
「ひどいなぁロゼッタちゃん、俺がそんな男に見えるかい?」
「少なくとも人の女を盗むことにかけては躊躇のかけらもないことはよく聞き知っていますが。」
ああそう、とがっくり肩を落としたチェットは、しかしすぐに立ち直る。
「そういうロゼっちは、こんな時間になにしてんの? 女の子がうかつにうろついてると、悪い狼に狙われるぜ?」
がおーと両手を上げる彼を黙殺し、ロゼッタはもう一度巨大な屋敷を見上げる。
(そうだ、ぐずぐずしてるとマスタングさんに先を越されちゃいますね。行ったらすでに血風呂(ブラッドバス)ではシャレになりません。)
ともかく、行ってみれば何とかなるだろう。
そう思い、ロゼッタは駆け出そうとしてふと立ち止まり、聞いてみた。
「そういえば、チェットさんは本当は何の用事なんですか?」
チェットは手をひらひらと振りながら、
「月見よ、月見。」
そう答えた。
腑に落ちない答えだったが、彼に話す気がないのならこの際どうでもよい。
そう判断したロゼッタは、夜にそびえる大邸宅へと足を踏み入れた。
◆
「とりあえず、マスタングをけしかけるのには成功したんですね?」
ブラインドを開けた窓を背負った彼の顔は、部屋が暗いこともあいまって完全に逆光、巨漢のジョン・ロデリックはその虫の好かない雇い主の顔を結局見ることはできなかった。
彼はいま、言われたとおり指定された先住民族―――それも誰も相手にしないような小規模な―――を、言われたとおり殺しつくしてきて、その報酬をもらいにやってきているのだった。
徒党を組んで、皆殺しにする。それだけすれば、まさに一生遊んで暮らせるだけの報酬が手に入るのだ。
どう考えてもおいしい仕事だった。それもとびっきりに。
だから彼は、この虫の好かない英国紳士気取りの優男の言うことには従ったし、依頼の本当に細かいところまで念入りに、まったくもって抜かりなくやったのだ。
一人だけ、髪の色の違うガキだけを、生き残らせるなんてところまで。
だから、ジョンはその男に言ってやった。
「おい、てめぇちょっと一発、その面殴らせやがれ。」
と。
当然その集落には小さな子供だっていた。
妻子のいないジョンだったが、故郷には年の離れた妹がいる。それがどんなにかわいかったか知っているジョンは、女も子供も容赦なく全員殺せと明言したその男は正直言って腹に据えかねる存在だった。
だから、ジョンは相手の返事も待たずに一歩踏み出したのだ。
そして一歩踏み出したときにようやく気づいたのだ。
シルバーのデリンジャーの銃口が、正確に自分の眉間を狙っていることに。
◆
ロゼッタは今、この道を選んだことを猛烈に後悔していた。
そして、私がもし八本足の蜘蛛だったなら、この仕事はどんなに楽だっただろう、と考えていた。
ベルモンド家の大邸宅の、その屋根裏で。
「はぁ…こんなことなら、もう少し粘ればよかったですね。」
こほん、とほこりっぽい空気に彼女は咳き込んだ。
ひとまず彼女は、正面突破をしようと決めたのだ。
小柄な彼女を飲み込もうとするかのような、驚異的な大きさの門をくぐり、驚異的な大きさの庭を素通りし、驚異的な大きさの扉をノックしたのだ。
金持ちは本当に大きいものが好きだ。そんなことを考えつつ待っていると、しばらくしてから明らかに不機嫌そうなメイド服の女性が出てきた。
「こんな夜中に何のようですか。ご主人様はすでに二階でお休みですが。」
明らかに追い返しムードのメイドさんに対し、ロゼッタはオブラートに包んだりするのがめんどくさかったので、あるがままを説明した。
つまり、あんたの主人の命が狙われている、守ってやるからそこを通せ、と。
メイドさんはまず迷惑そうな目をし、ロゼッタの格好を見て険悪な顔を見せ、ロゼッタの真剣な瞳を覗き込んで何を勘違いしたのか哀れみの視線を向けてきた。
ロゼッタはあまりにそのメイドさんが自分の顔をしげしげと覗き込むので、ふだんあまり気にならないお肌の調子がやけに気になった。
メイドさんはまた一通りロゼッタを観察し、
「間に合ってます。」
その言葉とともに屋敷のドアは固く閉ざされた。
彼女はため息をひとつつくと、
「仕方ありませんね。」
と、屋根裏に侵入するために、屋根へと上れる適当な高さの樹を探し始めた。
あのメイドは、事務的な挙措といい口調といい、主人を引き立てる裏方としてはそこそこ優秀なようだった。
しかし彼女の唯一の落ち度は、見知らぬ人間に主人の居場所をおぼろげながらも示唆してしまったことである。
二階に限定できれば、屋根裏面積はそう広くない。屋根裏を移動し、逐一下を覗き込んでいけば、いつかは主人の寝室を発見できるだろう。
そう判断したロゼッタは今、全身真っ黒になった自分を想像して憂鬱になりつつ暗い屋根裏を這っていた。
屋敷の大きさはそれなりなので、立てない高さではないのだが、ところどころにある梁のせいで匍匐前進を余儀なくされる。
「ここは倉庫…と。」
突き当たりで覗き込んだ下は、樽やら木箱やらの積まれた倉庫だった。
穴に目をくっつけると、薄暗いながらも月明かりに照らされた雑多な荷物を確認できた。
さっきまでは廊下にいたのだから、この屋敷は廊下を突っ走れば倉庫に行き当たる間取りになっているようだ。
下に降りて万一のことがあれば、逃げ込むのには最適かもしれない。位置関係を頭に叩き込む。
屋根裏の隅に、いかにも毒々しい、なまっちろいきのこが生えていた。
どうやらそこだけ雨漏りをしていたらしい。
触ってみると、そのしたは木が腐っているようだった。
「立派なのは見た目だけですか。やれやれ。」
小さくつぶやき、ごそごそと向きを変えようとしたとき、 ぎしり 木がきしむ音がした。
即座に腰の銃に手を当てる。落ち着け、4時の方向。ちょうど真ん中付近だ。
あの程度のやねの高さがあれば、しゃがみ撃ちに構えることはできる。
ロゼッタが匍匐前進をしていたのは何も梁を回避するためだけではない。頭をぶつけたくないのならゆっくり歩けばしゃがんで回避できる。
だが、2本の足で歩くと必然的に床に触れる面積は狭くなる。
そのせいで床がきしむと、家の主たちに気づかれる恐れがあった。 だからそれは避けた。
よって、今の音を出したのがロゼッタ本人である可能性はないに等しい。
じゃあだれか。
(マスタング、お出ましでしょうかね。)
ロゼッタはゆっくりと、音のしたほうに這ってゆく。
慎重に距離を計り、タイミングを待つ。
一気に銃の射程に敵を入れられ、完全に敵の虚をつける、距離的、時間的なタイミング。
ロゼッタが進入した窓から、明るい月光が差し込んでいる。
換気用と明り取りをかねた窓だ。
屋根裏を倉庫としても使えるように作られたのだろう。入ったときに閉めたはずの窓は、今は開放されている。
あの窓を背にできれば、相手にとっては逆光、こっちには絶好のロケーションだ。
ぐっと、両の足を床板につける。
ごそり、と、視界の端で影が動いた気がした。
大丈夫、気配は一人。それもおそらく、こちらには気づいてない。
どくん、どくんと伝わる鼓動に、自分の呼吸を合わせていく。
頭の中で、数秒後の自分の動きを、しっかりとイメージして………
…今っ!!
渾身の力で床を蹴り、横に転がる。
一気に窓の前へと踊りだしたロゼッタは、そのままの勢いで起き上がり、両手でしっかりとホールドした銃を前へと向けた。
「
そう叫んだロゼッタは、しかし予想外の事態に舌打ちした。
彼女は、いつの間にか近くにいた人影と、のど元に突きつけられた銀の刃を、正面から見る形となってしまっていたのだ。
「
月明かりを浴びて、茶色の瞳がぎらぎらと輝いていた。