SILENT EYE 
第一話 <月夜のサイレント・アイ>


俺の名前はステン・バルバロッサ、23歳。
ロスのひなびたロフトで探偵稼業なんぞを営んでるが、はっきり言って儲けはない。

ニホンのユーサク・マツダにあこがれて探偵なんぞになったものの、正直毎日が退屈で仕方ない。結局探偵なんて、警察の下請け企業にすぎないのだ。
そんなわけで、今日も今日とて、塀の上の猫を追っかける日々である。

「ヘイ!そこの子猫ちゃん、イカしてるね!俺とお茶でもどう?」

塀の上に上ってしまった文字どおり子猫に話しかける俺を、民衆は3メートル離れたところから、嫌な眼で見つめる。

「ね〜ママ〜、あの人、猫をナンパしてる〜」

「しっ!目を合わせちゃいけません!」

なんて会話が、俺の耳朶を無慈悲に打つ。
お母さん、俺、あんたみたいな人だいっ嫌いだよ。


今回の探し猫は、お高い気分屋、アメリカンショートヘアーの「キスティ」である。
しかし、さすがはお高い気分屋、ちょっとやそっとじゃ俺の方に振り向いてくれない。

ああ、キスティ、君は俺の今夜の飯代を握ってるんだ、頼む!降りてこい!
そんな俺の悲痛な叫びも、彼女には届かなかったようだ。
ぷいと顔を背けると、ひょこひょことヤバげな通りへと姿を消す。

「うおお、ベイビィ、そっちは危ないぜー!」

そう言って大慌てで追っかける俺だが、なさけなや、日はもう暮れようとしている。

昼の守護神が、地平線へと消えていく……



果たして、とっぷり暮れてしまった夜の道、それもとびっきりデンジャラスなロスの裏路地を、俺はさまよっていた。

夜の天使は、別人。

ロス・アンゼルスの内蔵深くに抱かれたこの路地は、夜ともなればどこからともなく、血走った目の奴らが百鬼夜行のごとくわいてくる。

ジャンキー、チーマー、バーサーカー。

いつ殺されても不思議はない。俺は汗ばんだ手をそっと腰の相棒に添えた。

コルト・アナコンダ。

かの有名な「リボルバーのロールスロイス」ことコルト・パイソンの.44マグナムモデルだ。
いささかかさばるが、ハンドキャノンの肩書きは伊達じゃない。
その気になれば悪魔だろうがなんだろうが吹っ飛ばすだけの威力はある。

もう3年連れ添った俺の大切な相棒である。
命を救われたことも、一度や二度じゃない。
運が悪ければ今夜も、こいつのお世話になることだろう。
それにしても…

俺は立ち止まり、何気なく周りを見渡す。
今夜はうちの相棒が実力を行使しなきゃいけないようなやつに、さっぱり出会わない。

それどころか、いつも俺に情報をくれるホームレスのおっちゃん達さえいない。

おかしい。

どう考えてもおかしい。

俺の心に、さっきまでとはまた別種の恐怖が生まれる。
まるで背中からはい上がってくるような、後ろを振り向きたくないような、そんな感じの恐怖。

焦りにも似たその感情は、俺の心に疑心暗鬼の穴を穿つ。
あり得ないほど静まりかえった裏路地に、異様に重たい空気が満ちる。


ガチャリ。


その音に俺は飛び上がった。

…後ろに、何かいる。

殺気、いや、それ以上の鬼気を感じて、俺は凍り付いた。

逃げなきゃ。

逃げないと殺される。

ガチャ、ガチャ、ゆっくりと、しかし確実に近づいてくる、確かな死の気配。
だが、足がまるで動かない。
張り付いたように動かない。

死ぬ。

殺される。

根拠もないはずの絶望が、俺の心を蝕んでゆく。

動け、俺の身体!

相棒のグリップに添えた右手は、しかしがたがた震えてまるで言うことを聞かない。

動け!

くそっ!頼むからっ!

動け、動け、動け!


「ンナ〜オ…」


緊張しきった空気に思わぬ水を差したのは、ほかならぬ俺の探し猫、お高い気分屋キスティだった。
そのとぼけた鳴声で、まるで水をぶっかけられたかのように俺の呪縛は解けた。

緊張に押しつぶされかけていた意識が、俺の中へと戻ってくる。

相棒が、俺を呼ぶ声が聞こえる。
俺はアナコンダを抜きはなった。

まるで映画のワンシーンのような、完璧といえるクイックドロウ。

「だあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

振り向きざまの一撃は、ねらい過たず敵へと吸い込まれていく。

過剰分泌されたアドレナリンが、俺の身体に行き渡る。
極度にとぎすまされた神経のせいで、世界がスローに見える。

バゴォン!

木偶人形。
44マグナムがぶち抜いたそれは、真っ赤な服を着た、マリオネットだった。

糸でつられたぎこちない動きは、人間サイズにするとそのままゾンビのそれと化す。
赤い目を光らせてよたよたと歩くサマは、たまらなくグロテスクだ。

胴体に大穴を空けたそいつは、、キシャァァァァァァ!と世にも恐ろしい叫びを上げる。
普通に聞いたら気が狂いそうな、もはやこの世のものとは思えない奇声だった。

だが、そのときの俺はそんなことをいちいち確認したりしていなかった。
敵はまだ、倒れちゃいない。

「うがああぁぁぁぁ!」

続けざまにもう一発。今度は顔面にクリーンヒット。

それでも敵はよろめくだけで、未だに健在であった。
人形のナイフが、怪しく光る。

「いいかげんに、死ねええぇぇぇぇえぇぇぇえええぇえ!!」

一気に間合いを詰めた俺は、敵の刃も気にかけず、相棒の銃口を、敵の眉間にぶち当てた。

そこから一気にトリガーを引く。引いて引いて引きまくる。

…赤い。

灼熱の炎と、それに熱せられた同じく真っ赤な地面。
誰かの悲鳴が、助けを呼ぶ声が、断末魔が聞こえる。

俺は、何をしている?

あまりにも唐突かつ不自然な光景に、しかし俺の脳は、俺がそこにいることを、ごく当然のこととして認識していた。

なんだ?ここは?

どこまでも続く、煉獄の赤。
叫ぶ声が、泣く声が、口々に言う。

「…の……は……だ!…せ!……せ!
 殺せ!!」


気がつくと俺は、弾丸の切れたアナコンダを手に、都合6発のマグナム弾を受けて完全に頭部を失った人形に、馬乗りになっていた。
マリオネットはすでに動く気配はない。

超ハイテンションのあとの虚脱感と、奇妙な満足感に浸りながら、荒い息を整える。

しかし。


ガチャ…


さっきと同じ、あまりに耳障りな音は、俺の左手から迫っていた。

いや、正確には俺がそう思っただけだった。

その音は、すでに四方八方から聞こえていた。

闇から這い出す、影、影、影。
十や二十では収まらない。

終わった。俺は目を閉じた。

右腕からじんじんと痛みが伝わってくる。さっきのやつに斬られたのかも知れない。

思えば実にくだらない人生だった。
こんな裏路地の死体など、誰も一顧だにしないだろう。

こんなところで訳の分からない木偶人形にぶっ殺されるのが俺の末路だとしたらカミサマ、俺は地獄であんたを訴えてやる。

訳の分からない怒りにさいなまれて、俺はやるせなくなった。

ああ、もうどうでもいいや。
好きなようにやってくれ。

ただ、もう一度だけ、この世界を網膜に焼き付けたら、俺はもうこの世に未練はない。

そう思って目を開けた俺の目にはしかし、


翻る深紅のマントしか映らなかった。


「な……」

そのマントに包まれるようにして、常識はずれたサイズの大剣が、月の光を浴びてぎらぎらと輝いていた。

そのマントの持ち主が、チラと俺の方を見る。
剣と同色のその髪は、夜風に揺れて持ち主の輪郭をぼやけさせていたが、その鋭さに満ちた眼光は、目に焼き付いて離れない。

彼は、ゆっくりと、しかしなめらかな動作で、背中の巨大な剣を引き抜く。
まるで木の枝を弄ぶように、相当な重量を持つであろうそれを片手で振り回すと、正眼の位置でぴたりと止め、

詠うように、言う。


「さて、遊ぼうか、犬の糞共。」


悪魔も泣き出す微笑みを、その頬に刻みながら。


「“アンカー”が“ハンター”との接触に、成功したみたい。あとは、あのコ次第ね、ファウスト?」

その女は、妖艶、という言葉がぴったり来るタイプだった。

皺一つないスーツのえりからは、隠す風もなく強調された胸の谷間がのぞき、
タイトスカートからのびる百万ドルの脚線美はすべての男を魅了せずには置かないだろう。

肩までのボブカットにそろえられた赤みを帯びた茶髪はさらさらとなびき、うっすらと微笑みを刻むパールピンクのルージュはむしろ近づきがたい印象さえ与える。

対するファウストと呼ばれた男ももまた、彼女に勝るとも劣らない美貌だった。
隙のない身のこなしはしかしあくまで優雅、純白の肌はその美貌に一種中性的な雰囲気を漂わせている。

しかし、真っ白に脱色した髪に半ば隠されたその眼は深い闇をたたえ、そのことが彼の魅力的な容姿をどこかおぞましいものへと変貌させていた。


そこはロス市内の巨大なタワーの一室。
折しも空には三日月が輝き、巨大な窓のあるその部屋を、儚げに彼女らを照らしていた。

「そうだね、上手くやってくれることを願おう。邪魔者はないに限る。」

ファウストは、心に直接入り込んでくるような奇妙にかすれた声で彼女に応じる。

彼女は満足したように微笑み、ファウストの首に腕を絡めた。

ぐっと近づく、距離。

「あなた、この街を、どうする気?」

お互いの息がかかる位置で見つめ合い、問う。
ファウストはほほえんだ。

「序曲を奏でよう。リザにささげる、ラヴ・ソングの。」

淡い月明かりの元、二つの影は一つになってゆく…



シャァァァッ!

気合いとともに、木偶人形が複数体、その深紅の影につっこんできた。
男はひるむ様子もなく、十分にそいつらを引きつける。

ザンッ!

一瞬の銀光の閃きに、木偶人形達は木っ端となって崩れ落ちる。
なびくマントが、燃え上がる炎を思わせた。

彼はそのまま剣の勢いを殺さずに一回転、ダンスの要領で間合いを詰め、後方で事態を静観していた木偶人形達さえも一文字に斬り結び、一瞬で木屑へと変える。

舞うようなその動きを目で追ううちに、気がつけば彼の周りにはすでに、一ダースあまりの元木偶人形が堆積していた。

中には擬似的な生命の残滓なのか、未だにかたかたと動いている物もあったが、それらにしても動く部分は完全に無力化され、あとは死を待つのみであった。

だが、敵は多い。

そのうちに、彼の背後に回ることに成功した人形の一団もいた。
忍び寄る彼らに、深紅の騎士は気づいた様子がない。

「まずい…」

立ち上がろうとした俺を、いつの間にか現れた黒い影が押しとどめた。
月の逆光でよく見えなかったが、そいつは若い女のようだった。

縁の広い黒の帽子と、同色の長いコート。それと、背中に流れる真っ黒なストレートヘア。
月光に縁取られていなければ、闇と見紛うに違いない。

顔ははっきりとは分からなかったが、何か包帯のようなもので目を覆っているのは見て取れた。
それに、肩からストラップで、長い筒のような物を下げていた。

「あなたは、自分の出血の心配をして。」

ハスキーなアルトでそう言うと、彼女は黒髪を翻し、その不届きな木偶人形達に相対した。
肩から提げた筒から、おもむろに自らのエモノを取り出す。

出てきたのは流麗なフォルムを持つショットガン、最新鋭のベネリM4である。

12番ゲージのショットシェルをガス圧作動によってセミオートで装填するこの銃は、
まさに戦うためだけに生まれてきたような無駄のない、しかしそれゆえの美しさを備えていた。

彼女はストックをバシン!とのばすと片手で、1メートル以上あるそれを敵へと向ける。


ドガン!ドガン!


ショットガン特有の鋭く響く銃撃音に、俺は耳を覆う。
眩いばかりのマズルフラッシュが、あたりを昼間のように照らす。

まさに嵐と化した銃撃に、人形達は粉々になる。

気がつけば、二人は20体以上の人形を屠り、戦闘は終わっていた。

俺は………腰が抜けていた。

異常な敵、異常な人間二人に圧倒されて、俺は放心状態だった。

「おい、生きてるか?」

赤いマントの男の声で、我に返った。

「お、よかった、生きてるみたいだな。」

その男は俺の顔をのぞき込みながら言った。

いろいろと聞きたいことはあったが、俺はまず一番に浮かんだ問いをぶつけることにした。

「あんたは?」

俺の問いに、しかし男は答えず、

「悪いが、今夜のことは全部忘れてくれ。俺達のことも、この気色悪い人形も。」

とだけ答えた。納得いかない。

「なんでだよ、俺は右腕を斬られたんだぜ?」

俺が食い下がると、男は困ったような顔をした。

「あんたみたいな常人が踏み込んでいい所じゃないんだよ。巻き込んで死なれたら俺だって後味が悪い。分かってくれ。」

分かってくれと言われてもさっぱり分からない。分からないことは調べる。探偵の基本だろ?
もとより、俺は理屈で納得のいかないことがあるのが許せない性分なのだ。
意地でも首をつっこんでやる。断固たる意志の元、俺は立ち上がった。

「納得いかねぇ。俺にも、あんた達のゲームに参加させてくれ。それ相応の働きはする。」

「でもな、お前、興味本位に命を賭けるってのは…」


「うっとうしいわね。」


騎士を押しのけて、黒衣の女が俺の前に立つ。
その小柄な影からは、何かどす黒い殺気が発せられていた。

「利益の見込めないことはしない。それが、この世界で生き残る基本なの。」

「けど……」

「言って分からないやつには、死んでもらう。時間の無駄遣いだから。」

後ろで騎士が、だめだこりゃ、というように首を振っている。

「あなたが悪いのよ。せっかく生かしてあげようと思ったのに。」

―――彼女の右手が消えた。


ガギンッ!


そのとき、俺は自分でもどうやったか分からなかった。
ただ、気がついたときには俺の右手のアナコンダが、銀色のナイフをしっかりと受け止めていた。
彼女のどこにそんな怪力があったのか、アナコンダの美しかったベンチレイテッドリブはすっかりひしゃげている。

「なっ……!」

あんぐりと口を開いた彼女からは、驚愕がありありと感じ取られた。
どうやら結構本気の一撃だったらしい。
一瞬の沈黙のあと、騎士がひゅう、と口笛を吹く。

「お前の負けだな、サイレント・アイ。そこら辺で勘弁してやれよ。さっきマリーを倒したのも加えて、十分及第点だ。」

面白そうな奴じゃないか、と笑う。

あまりに不服そうな態度で、サイレント・アイと呼ばれた彼女はナイフを納めた。

「敵側のスパイかも知れない。」

「そうだとしても、俺にかなう奴なんていねぇよ。それに、」

騎士はぐいっと顔を寄せる。

「お前だってそうだろ?謎の依頼人さん?」

言いくるめられた彼女は、怒ったようにそっぽを向いて口をつぐんだ。


彼はにっと笑って、こちらに向き直った。

「ステン・バルバロッサだ。」

俺が自己紹介をする。


「ダンテだ。ようこそステン。悪魔と、その狩人の世界へ。」


差し出された手からは、血と硝煙のにおいがした。

久しぶりに、面白いことになりそうだった。


第二話に続く


小説トップへ   第二話へ>