SILENT EYE
第六話 <闇夜のサイレント・アイ>


「歓迎しよう。狩人、ダンテ。そして探偵、ステン・バルバロッサ。
 君たちには非常に感謝している。
 彼女のいない200年間、ああ、僕がどれほど寂しく切ない心でいたか……」

大仰に、まるで舞台演劇のように彼は独白する。

「そうだ……200年前、彼女と僕は出会った。 崇高なる大悪魔、メフィストと……
 それは激しい恋だった。僕は一目惚れした。
 彼女のその、巨大な力、内包される破壊のオーラだよ。
 すべてを超越し、すべてを支配し、二人だけの世界を作る………その片鱗を、僕は見てしまった。
 ……その究極を求める故に、僕は禁を破り、200年の命を得た。 つらかったとも。 ああ、辛かったとも!
 周りの誰もが、僕から去っていく。 そのたびにはち切れそうな胸で思った。 メフィストよ、早く僕の許へ!!

 そうして200年がたった。 僕は、僕はこの日をどれだけ待ちわびたか!
 彼女と再会する。 そして、世界を二人だけの物に。」

ゆらりとこちらを向くその顔は、満月に隈取られ、醜く、そして美しかった。

「狩人。君の役目は終わった。
 君たちは僕とメフィストの最初の贄となる。さあ、パーティーを始めよう!
 僕たちの門出を、君たちの血で彩ってくれ!!」

突然、俺達の足下に召還陣のような物が出現した。

赤い複雑な文様の装飾に縁取られたその内側には、本来あるべき地面ではなく、果てしない闇ともとれるような不思議な空間が広がっていた。
うわ、と叫び声を上げる間もなく、俺達は落下していった。





「……ステンは、どうした?」

ダンテは目の前にいる今回の元凶に問いかける。

ダンテの落ちた空間は、暗く、紅く、澱んだ空気が否が応でもダンテの悪魔の部分を刺激した。
床は白い大理石のようなものでできていた。
歩くと、こつこつと壁もない空間に靴音が反響する。

「そうだね……、この空間は無限だ。
 だから人間である僕らが使うためには明確にその場所を指定しないと、迷子になってしまう。
 彼は今、この空間のこことは違うどこかに、隔離してある。
 部下に、始末を命じておいた。どのみち、彼は知りすぎたのだし……。」

ダンテは、そうかよといいながら立ち上がる。
ぱんぱんと服のほこりをはたき、ありったけの殺気を込めてその男、ファウストを睨んだ。

「あのバカは死なねえよ。
 たとえ自分の思い人に刃を向けられることになっても、だ。」

高位の悪魔の血の巡る、ダンテの何人をも射殺さずには置かないような、そんな眼光にファウストは一瞬たじろいだが、なんのことはない。
悪魔など所詮は人と変わらない。 人とは違う世界に住んで、人に呼ばれればやってくる。
ただ、それだけのこと。

「君の剣、そして君の償いの血、それが僕の欲するもの。
 なぜならそれは、愛の証明。
 僕のメフィストに対する、限りない契約の証だからだ。

 僕はそれだけは妥協しない。 二人の愛のため、死んでくれ。」

ファウストの掲げた右腕に、なんの前触れもなく銀の刃が現れる。

長さは1メートルほど。 細身の刀身と、優美な装飾を施した鍔を持つ、完璧なフォルムのレイピアだった。

ダンテは、自らの背に差した大剣を引き抜く。
殺伐、無骨。 
鉄のかたまりというに相応しいその剣は、その身を地血で濡らすことへの衝動を隠そうともせず、ギラギラと輝いている。
その持ち主も、また然り。

「お前のせいで、悲しまなくていい奴が悲しみ、死なずに済んだ奴が死んだ。
 その罪を、お前なんぞが負えるのか。」

その言葉に、不敵な悪魔使いは、頬をゆがめた。

「愛のための犠牲さ。」

二人は同時に地を蹴った。





気がつくと俺は、なんだかよく分からない場所にいた。
あたりは真っ暗なのに、俺の周りは十分よく見えた。
例えるなら、背景を塗りつぶした絵画のように。

俺の背後から、ゆっくりとした足音が聞こえる。

「あなたを殺すわ。ステン、バルバロッサ。」

ずいぶんご無沙汰したような気がするが、間違いなく彼女のハスキーボイス。
彼女とは、できればもう二度と、会いたくなかった。
会えばこうなるって、思ってはいたから。

「お前は……いいんだな? 本当に、これで。」

返ってきたのは、沈黙だった。

「……もういい。」

俺は意を決して振り向く。
背景の黒にとけ込んだ彼女は、やはりあの眼帯をしていた。

沈黙の目。サイレント・アイ。
アレがあるだけで、こんなにも距離を感じてしまう。

「なら、俺も本気で行かせてもらうぞ。フィー。」

俺は、ジャケットのポケットから、銀のナイフを取り出す。
あの日、フィーにもらったナイフ。 鞘を払うと、光もないのにギラギラと陰鬱に輝いた。

むこうも、例の黒塗りの短刀を抜き払う。

「来いよ、フィー。俺を殺すんだろ?」

俺は右足を引き、軽くアキレス腱を伸ばしながら言う。
表面的にはなんとか平静を取り繕ってはいるが、内心はびくびくだった。

足が震えている。

俺には、彼女を殺せない。

でも、俺も死ぬわけには行かない。
そんなことが、本当に可能なのか?
万人にとってのハッピーエンドなんて、本当にあり得るのか?

………いや、考えていても仕方がない。
要は、俺の実力次第だろう。
改めて右手のナイフを握り直す。

さあ来い、フィー。

姿勢を低くしてつっこんでくる彼女を、俺は意外なほど冷静な目で観察していた。

ナイフ戦闘の基本は、あのぼろモーテルで一通りフィーに教わっていた。
肝心なのは、敵のナイフを持っている方の手を確保すること。

刺突をかわしたその内側か、もしくは外側の敵の懐にこそ、ナイフ戦闘の要がある。
攻撃側は、最初の一撃でしとめられなければずいぶんと不利になる。
伸びきった腕を捕まれればそれでおしまいだ。

だが、フィーに関して言えばそれは例外だ。
彼女の両手のナイフに、内側外側の概念はない。
左右にかわすことはできない。

今彼女は、両手をしたにだらんと垂らし、開いたスタイルで突進してきている。
第一撃は、彼女の性格を鑑みても大振りの攻撃と言うことはまずないだろう。
軽いフェイントで小刻みに攻めてくるに違いない。
まずは様子を見て……

そこまで考えたところで、俺は狼狽した。
ブオッという風音とともに、彼女の両手が俺を挟み込むようにして肉薄する。
間違いなく首を一刀両断するコース。

すんでの所で上体を反らしかわしたものの、体勢は大幅に崩れた。

だが彼女の方も、勢いをつけすぎた腕の速度を相殺するのに隙を作っている。

おかしい。彼女らしくない。

次いでやってきた2撃目、3撃目も、あり得ないほどの勢いをもっていた。
すべての攻撃が、急所狙いの一撃必殺、だがそのぶん姿勢の立て直しに成功した俺には易々と捌ける物ばかりだった。

続く4撃目、横合い右手から繰り出された水平のなぎ払い―――これも俺の首に向かって直線軌道を描いていた―――を身をかがめてかわし、そこに隙を見つけた。
彼女の左半身、俺から見て右側が致命的にあいている。 俺は半ば反射的に刺突を繰り出した。

彼女はとっさに右足を下げ、右方向に身体を開くようにしてかわしたものの体勢は大きく崩れていた。
俺の渾身の膝蹴りが、彼女の腹にはいる。

……俺は、本気でやると言った。

ケホッと短い息が、彼女の口から漏れる。黒い縁の広い帽子が、彼女の頭からずり落ちる。
それでもフィーは、その勢いを有効利用してバク転で俺との間合いを離そうとした。
それに追いすがるように、俺も地面を蹴る。 狙いは、彼女の着地の直後。
フィーが着地して構えを作るその前に俺が間合いを詰められれば、あるいは。

だが、あと3メートルと言うところで、彼女は俺の方に向き直った。

全力疾走の俺の勢いは止まらない。
フィーにとって、カウンターを喰らわせるのに絶好のシチュエーションだった。

フィーは、俺にカウンターをかますだろう。 そして俺は死ぬ。
ごめんよ、フィー。
俺、お前を助けてやれなかった……。

ドスッ、という衝撃。
生暖かい、血のぬくもり。

だが、フィーの漆黒のナイフは俺の胸を貫いてはいなかった。

俺のナイフは、両手をだらんと下げた彼女の胸に、致命傷を負わせていた。

彼女は、微笑みを浮かべていた。





なぜなんだ? なぜこんなコトになった?
俺の腕の中で、フィーは動かない。

俺が一体、何をした?

簡単なことだ。 俺が、首をつっこんだから。
彼女の日常を、俺のわがままで歪めてしまったから。

どうしてだ。


どうしてだ!

俺が、俺が何もかも悪いのか。
自らの力を過信して、彼女を救えると思いこみ、そして暴走、その結果がこれだ。

ごめんよ、フィー。

ごめん。本当に、ごめん。


「あなたはまた、私の知らない、コトをする…………」

そっと俺の頬に、柔らかい手が添えられる。
気がつくと俺は泣いていた。

いつかのように、そっと涙をなぞる、指。

「私のために泣く人なんて、あなたが初めてよ……」

そう言って彼女は、弱々しくほほえむ。

「ふふ、肺が傷ついてなくて、よかった。最後に、あなたに、言いたいことが……」

「ばか、喋るなよ、血が……」

血がどうしたというのだ。 こんな場所では医者も呼べない。
かといって俺のできる応急処置で、助かる傷じゃない。

それでも、彼女が喋るたびに、彼女の命のように流れ出る血を見ているのは、いたたまれない気分だった。

「ねぇ、お願い、眼帯、とって……」

頷いて、俺は彼女の頭から、眼帯をとる。
そこにあるのは、前見たときと変わらない、深紅の瞳。

「あは、ステン、ひどい顔。」

そう言って、彼女は目を細める。

「うるさい、ばか。」

俺だって分かっている。こんな状況で、まともな顔ができるはずもない。

「ごめんなさい」

フィーが言った。

「あなたを、生き残らせるには………この方法しか、思いつかなくて……
 でもあなたならきっと、もっといい、方法を……、う、ゲホッ!」

突然フィーは激しく咳き込む。 口から血が出ている。
やはり、内蔵にも傷が付いていたか……

「私は死ぬけど、でもきっと、そのへんの兵士よりはよっぽど幸せ者だわ……。
 だってこうして、あなたに、さい………ご……の………」

「ばかおい、ちょっと待て、最後の何だよ!」

彼女のまぶたが、重そうに落ちてゆく。
俺はフィーをがくがくゆするが、命の気配は遠のいてゆくばかりだった。
俺は………死にうち勝つほど強くはない。

「お願いよ……ステン。
 私のために……悲しまない…で……

 生きて……。
 迷わず、まっすぐ、に。
 そんな………あなたが……私は…………」

「フィー? おいフィー!」

急に力を失った腕に絶望を覚えた。
返事がない、反応がない、胸の上下も、もうない。

「なぁおい、ちょっと待て、お前、冗談だろ?
 なぁ、なぁ、フィー、フィー! フィ…………」

突然の衝撃と、胸が詰まったような感覚に、俺は声を途切れさせた。

「二人でこられちゃかなわない、だから二人を殺し合わせる。
 相変わらず、えげつなくて悪趣味ね。」

胸に触れた手に付いたのは、血……俺の血か?

「でもま、そんなところが好きなのだけれど。」

重い首をひねり、後ろを見た俺の視界には、赤毛の美女。
その手には、白煙を上げるベレッタM1934。

「リザ………スタン、フォード…」

「そうよ、覚えてくれてて、光栄だわ。愚かな探偵さん?」

くそ……

立ち上がろうにも、動けない。
座った姿勢を維持するための、腹筋、背筋、腕の筋肉も、あらゆる筋肉が弛緩していく感覚とともに、俺の意識はどんどん暗くなっていった。

嵌められた……。
俺も、フィーも。

前が、見えない。

……俺は、死んだのか?

第七話に続く


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